amiteeのほげほげ日記

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「硫黄島からの手紙」

戦争はいやだ。戦争はいやだ。戦争はいやだ。
映画を観ている間じゅう、わたしの頭の中にあったのはこの言葉だけだ。そして映画を観ている間じゅう、この世界から逃れたいとしか思えなかった。目の前にあるのは画面で、現実ではない。それでも、逃げたかった。
硫黄島からの手紙」を観たのは10日ほど前。観てきたのだから書こう、早く書こうと思っていたけれど、なかなか書けないでいた。何かをアウトプットするには、インプットされたものが多すぎた。それなのに、感情や思考はひとつのところをぐるぐる回る。ものすごい威力だった。
何かを考えさせる映画ではない、と思った。あの長い映画の最初から最後までずっと強く感じ続ける一つのこと、拒みようがなく流れ込んでくるその何かを抱えて帰れば、それでいいのだろう。それが何か、きちんと表すことができなくても、感じたことは残る。そして、「戦争はいやだ」という言葉を残して思考が停止しても、それでじゅうぶんなのだと思いたい。
戦争ものにつきものの「かわいそうな人」なら、この映画にもたくさん出てきた。けれど今まで観たことのある戦争ものと決定的に違うのは、その人たちがかわいそうだということを、まったく強調していなかったことだ。事実をただ見せられているだけなのに、でもだからこそ、自分はその状況に在りたくないという感情が、強烈に起こってくる。
直截的な映像表現も手伝って、わたしはずっと座っていることができなかった。出て行ったら中には戻れないかもしれないと思ったけれど、吐き気に負けてしまったのだ。でもしばらくして落ち着いてくると、戻らなくてはいけない、と思い始めた。戻りたいとか戻りたくないとかではなくて、戻らなくてはいけない、と思った。映画の中でそれぞれの役割を果たしている人物たちの、誰が死に、誰が生き残るのかを、しっかり見ておく必要があった。
渡辺謙が演じている栗林中将については、当時の日本にあって進歩的な人間であったこと、人格者であったことは描かれていたが、優れた軍人であったことは、あまり描かれていなかった。代わりに、彼が心の中で息子に語りかける形式のシーンにかなりの場面が費やされていて、映画を観ているときには、その必要性があまり理解できなかった。しかし振り返って考えれば、それらのシーンはやはり必要なものであり、また、栗林中将が優れた軍人であるという描写がなかったからこそ理解できるものであった。生きることは、なんとたいへんなことなのか。
戦争は、他人事ではない。戦争は、いやだ。できるだけたくさんの人に、本気でそう思ってほしい。