amiteeのほげほげ日記

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本当にくだらない仕事は「無駄なこと」ではないか

突然だけれど、「誰でもできる仕事」と「くだらない仕事」は違うんじゃないかと、最近思った。
たとえば、お客さんにお茶を出す、とかコピーを取る、とか、電話を取り次ぐ、とかそういうことやそれに関連する仕事は、誰でもできる。しかもくだらないこともある。でもそのくだらない理由は、「わたしじゃない誰かでもそれができる」ことではなく、その仕事が本当に切実には、必要とされていないからではないかと思う。
食事を出すお店で、お皿を洗うというのは誰にでもできる仕事で、たいていは下っ端の仕事だ。でも、もしもお店に偉いコックさんしかいなかったとして(ありえないけど)、偉いコックさんは誰もお皿を洗わないかというと、そんなことはないはずである。序列が下の者がやるのは、それが誰でもできる仕事だからであって、重要な仕事じゃないからではないのではないか。
それでも、人間はやはり、「誰でもできる仕事」ではなく「自分にしかできない仕事」をやりたいと思う気持ちを持っている。おまけに、「誰でもできる仕事」はその対価も高くないため、ますます、それが誰でもできるという理由だけで「くだらない仕事」のように思える。「自分にしかできない仕事」と「くだらない仕事」が、だんだんよくわからなくなってくる。しかしながら、モノでも状況でも、「コレが、こうならないと、困るんだ!」ということが発生している場合は、それをかなえるために本当に必要な仕事は全て、くだらなくはないと思う。結果的に無駄になった仕事ではなく、明らかに効率がよくないなどの無駄な仕事は、切実に、まったくもって、くだらない。自分にしかできない仕事がしたい、つまり大事な仕事をして自分の存在意義を確認したいという気持ちは、本当は重要な仕事を、その見た目だけで「単なるくだらない仕事」と片付けてしまうことによって、ますます膨らんでいくものなのかもしれない。

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利益を追求する「会社」にとって、「コレが、こうならないと、困るんだ!」という部分は、時折あいまいで、「コレが、こうならなくてもまあいいけど、でもこうなったら、嬉しいかな」というところを突いていくしかない場合も多い。そうすると、余計に、「自分にしかできない仕事」とか「くだらない仕事」とかがよくわからなくなって、仕事ってなんだ?なんて思えてくるのかもしれないと思う。しかし、仕事ってなんだ、なんて考えるのは中学生のうちに終わらせておきなさいよ、と前に言われた。みんな中学生のうちに終わらせているのだろうか。