amiteeのほげほげ日記

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些細だけど残ることと、後になって気づくこと

年が明ける前からだと思うのだけれど、病院の後に行く薬局を変えた。なんだか知らないが家と病院の周りにはやたらたくさんの調剤薬局があり、どこに行っても同じだけれど、あの問診票みたいなのを何度も書くのは面倒なので、できるだけ同じところに行っている。それがなぜ変えることにしたのかというと、もちろんきちんと理由がある。おばちゃん薬剤師さんに言われた些細な一言が、ものすごく気になったからだ。
今から考えても、薬剤師さんに悪気はなく、むしろ親切心か、とにかくいい意味での言葉だったと思う。薬を渡されて、副作用や身体の調子などを尋ねられ、会社を休んでいるという話をした。その後で、「でも、お元気そうですよ」と言われた。この一言が、ひっかかった。
繰り返すが、悪気はなかったと思う。元気そうに見える、大丈夫だよという励ましのひとつだったと思う。でも、まだ全然元気ではなかったわたしは、ものすごく穿った捉え方をしてしまった。元気なら会社に行っているし、こんな薬は飲んでいない、と思った。そもそもの病状がそんなにひどくなく、12月に入って回復がみられたうえ、他人に対しては基本的に愛想がいいので、元気に見えて当たり前だったとは思うし、そのときも「元気に見えて当たり前だ」と思った。が、それでもその励ましにやはり、傷ついた。
今は病気だからクローズアップしてこうやって書くけれど、なにも病気のときに限らず、こういうことは日常でよく起こっているのだろうと思う。別に書いたからといってどうなるものではないけれど。
「後になって気づくこと」というのは、ストレスの溜まっている状態やうつの状態がどんなものであるかということは、そのときは自分では絶対に気づかないのだということ。わたしの場合一人暮らしをしていたので、つい最近、かなり元気になるまで、まったくわからなかった。
よく言われることに、今まで興味を持って取り組んでいたことに対する興味や関心を失う、というのがあるのだけれど、これがわたしの場合、テレビと音楽だったようだ。まずテレビ、昨年10月から12月にかけての、いわゆる「秋ドラマ」はまったく観ていない。今から振り返ると「興味を失っていた」のだけれど、当時は、ただ疲れているから、観る気がしないから、それで観ないだけだと思っていた。テレビを観てときどき泣いたり、ときどき大笑いをすることですっきりしていたことなど、さっぱり忘れていた。要するに、そこまでするほどの気力もない状態なのだけれど、自分ではまったく気づかなかった。最近は時折バカ笑いをして楽しんでいる。月9「西遊記」もぼちぼち観ているくらいだ。
音楽も同様である。音楽をかけると合わせて歌っていることが多いし、音楽をかけていなくても鼻歌を歌うのだけれど、いちばんは「お風呂ソング」だ。元気なときは、お風呂に入っているときは大体歌っていた。しかも特定の歌ばかり。それが病気のとき、まず音楽をかけるという意欲をなくし、たまにかけても一緒に歌うことをしなくなっていた。もちろん鼻歌も、お風呂でも歌わない。でもこれも最近気づいたことで、自宅でサザンのMDを聴きながら「イェイ!」と言い、そこではっとした、という具合だった。そういえば久しぶりだった。
たとえば結婚していたり、実家から通勤していたりしたら、誰かが気づいてくれていたと思う。でも、こういうときの本人の「思い込み」というのは相当強い。周りが何か言っても無駄だろうと思う。せいぜい病院への受診を促すのが関の山だろう。結局、後になって気づくしかないのだと思う。
こういうところが、難しいところなのだ、ほんとに。