amiteeのほげほげ日記

はてなダイアリーから移行してみました

先月わんこが死にまして。

2月24日に突然立てなくなって以来、ずっと居間で寝たきりだったわんこが、4月17日にとうとう亡くなった。
寝たきりになってからはドッグフードは食べず、獣医さんからのアドバイスでずっとポカリスエットを与えていて、それだけで2ヶ月近く生きていたのでそのことにびっくり。ちょうどたまたま誰も家にいなかった1時間ぐらいの間に亡くなって、苦しかったかどうかとかそういうことはわからない。でも、亡くなって数時間後、仕事を早退して帰ってきてみたら、ただ寝ているだけのようにも見えたぐらいなので、大丈夫だったんだと勝手に思っている。

わんこのてつくんは、わたしが小学校6年生の4月に家にやってきた柴犬の子で、以来15年間、我が家の初めてのペットとして、すこぶる健康に暮らしてきた。わたしのことは自分より下だと思っていて、一人暮らしをしていたわたしが帰省したときなどは、わたしが家に入ると怒ってよく吠えていたものだ。
変人の集まりである我が家に来たわんこだけあって、てつくんも相当変わったわんこだったと思う。普通、家族が出かけて誰もいなくなると、わんこは淋しがってあちこちいたずらをして気を紛らすらしいのだけれど、てつくんはそういうことは一回もなく、獣医さんには変わった子だねと言われたらしい。気が強くて好戦的だったのも、小さい頃いたずらを咎められると誤魔化そうとしたのも、うちのわんこらしかったなあと思う。歳をとっておじいちゃんわんこになってからは、顔つきも穏やかになって、喜怒哀楽があまり表面にでてこなかったけれど、たまに帰るとそれなりに喜んでくれているふうだったので、嬉しかった。

2005年の秋に、わたしが病気をしていったん家に帰ってきたとき、その前に帰ってから1年以上間が空いていたので、てつくんが急にとても歳をとったように感じた。もういつ死んでもおかしくないような気がして、夜寝る前などは、生きているかどうか確認してから寝ていた。ふかふかの毛でいっぱいのほっぺたを触って、生きてるなあと思った。生きているとわかっただけで安心した。生きている。それで、安心する。そういうものなんだと思った。でも、生きてるだけでいいというのは、難しい。

==========================================

てつくんが亡くなる少し前に、なおやの親友でありわたしの中学の先輩でもある人が、とつぜん亡くなった。なおやが秋田に来てお葬式をしている間にてつくんが亡くなり、てつくんは翌日に骨になった。その日なおやは広島に帰って会社に行った。ぜんぶあっという間だった。なんだかうまくアウトプットできる気がしなくて今日まで延び延びになっていたけれど、これで一区切り。また、楽しかったこと、おもしろかったこと、日々のくだらないことを、書けるときに書いていきたいと思う。