amiteeのほげほげ日記

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余裕がないのは当たり前のこと

今日、試験を受けに東京に来ていた後輩くんと会って、あまり長い時間ではなかったけれど、いくつかの話をした。主に、というより殆ど、就職に関する話。

自分にとっての働くことの意味、働くことで何を得るのか。わたしはそれらを、自分の中に持っているつもりだ。それでも時々、たとえば都庁を見上げながら信号を待っているとき、ふと思う。わたしはどうしてこんなところに、5キロの営業カバンを持って立っているのだろう?と。無数の人が行き来する新宿駅前で、上司の怒声が聞こえてくる小さな携帯電話に向かって「すいません。すいません」と謝りながら歩いているとき、心のどこかで、何故だろう?と思っている。

むかし、大学に入った頃、何になりたいか、どうなりたいか、そして将来どうやって生きていくか、わたしには何のビジョンもなかった。何も考えていなかったわけではないけれど、リアルに考えることはできなかったし、寄りかかって生きていくことしか考えていなかった。大学の4年間が終わったら地元で公務員にでもなって、その2年後に彼氏が大学を卒業するから、そうしたら彼氏が研修医の間でもその後でもいいから結婚して一緒に暮らすんだなあと、何の根拠もなく、そう思っていた。

今ごろは、結婚しているか、結婚する話をしている、はずだった。

べつにそっちを選ばなかったことを後悔しているわけじゃない。その後の選択に疑問をもっているわけでもない。でも今の状態は、自分の生きていく道を他人に委ねようとしていたあの頃と、何か違うとは思えない。だからと言って逆戻りしたのだとも思わない。結婚というファクターを除いて考えて、社会に出て働いて生きていくのだと決めたのだし、今考えている「働くことを通して目指す自分の姿」は、今のようなかたちで働くことでしか目指せないと思っている。そして、何が見えたら今の会社を辞めたいと思ってしまうかも、だいたいの予想がある。いいものも悪いものも、どちらが見えても辞めたくなるだろう。この会社でなければいけないというわけではない。わたしに必要なもの、わたしがほしいものを提供してくれそうな会社に入っただけだ。

たぶん、働くことを抜きにしたときに自分がどうなりたいと思っているのか、今度はそれを自覚しなければならないのだろう。結論を出すことではなく、自覚することそのものが、必要で大事なのだろうと思う。

すっかり忘れていた。「忙しい」と言うのは止めたんだった。