amiteeのほげほげ日記

はてなダイアリーから移行してみました

ふと思い出したこと

この本「村上朝日堂 (新潮文庫)」を最初に読んだのは、高校生のときだった。
村上春樹さんのエッセイで、いちばん最初に出たのは1984年。執筆当時、村上春樹さんは34歳だそうで、なんというか34歳の村上さんなんて想像もつかないのだけれど、この後もどんどん出るエッセイは、小節やノンフィクションなどの作品とは違った趣をもっている。村上さんが歳を重ねていく様子もほのかにわかり、なかなか好きだ。
その最初のエッセイ集にある、「女の子に親切にすることについて」という文章のことを、今日また思い出した。

いちおう断っておきたいのだけど、ただ単に女の子に親切にするというのはそれほどむずかしいことではない。家まで送ってあげるとか、荷物を持ってあげるとか、気のきいたプレゼントをあげるとか、服を賞めてあげるとか、そういうのはべつに高校生だってできる。僕がむずかしいと言うのはそういうことをやりながら、それでいて相手に「ハルキさんって親切ね」と言わせないテクニックのことなのである。どうして女の子に「親切ね」と言わせちゃいけないのかというのを説明するのはすごくむずかしい。このへんの感じは年をとらなくちゃわからないんじゃないだろうか。
村上春樹「村上朝日堂」新潮社,1987 p.112より引用)

初めてこれを読んだ高校生当時、書かれていることがどういうことなのか、わたしにはよくわからなかった。男の人が女の人に親切にして、その相手から親切ねって言われてもいいじゃない、と思った。村上さんも「このへんの感じは年をとらなくちゃわからないんじゃないだろうか。」と書いているので、そのときはそうなのかぁ、程度でさっさと読み進めた。

その「このへんの感じ」が、確かに説明はできないけれどなんとなくわかるようになったのは、いつ頃からだろう。今では、このエッセイ集の中でいちばん存在を感じるのはこの文章だ。村上さんがこれを書いた34歳当時でも、女の子に親切にするのはすごく難しいことだ、と感じているのだから、もうすぐ24歳のわたしが簡単にわかることではないのだろう。
ただ、間違いなく言えることは、村上さんが書いているような意味で男性が女性に親切にして、それを女性が感じたときにどうするか、ということも、とても難しいのだということ。
親切の受け取り方というのも、それはそれで、難しいことだなあ、と、思ったりするわけ。